東北新幹線の大宮〜盛岡駅が開業した1982年、旅雑誌の撮影依頼で、岩手県の大槌町を訪れた。当時話題になっていた、井上ひさしの小説「吉里吉里人」と同じ駅名があったことから、町をあげて独立国ブームを盛り上げていた。
独立国というには、あまりに寂しい町で、まだ雪もチラつく3月は、曇天になると体の芯まで冷えた。「お茶でも飲んで行きなさい」と誘ってくれるおばあさんがいて、遠慮なく上がり込んだ。お茶請けの「めかぶ」があまりに美味しくてお代わりすると、漁港に行けば、今はワカメの水揚げの真っ盛りだよと教えてくれた。
漁港は大槌町の人が全員揃ったのではないかという賑わいで、老若男女が一所懸命ワカメの切り分け作業をしていた。中には学齢前の小さな子供もいて、大きな包丁で、ワカメの葉、茎、めかぶを上手に切り分けていた。
町おこしのリーダー格の陶芸家、Oさんと仲よくなり、その後何度も、大槌町を訪ね、いつしかふるさとのような気持ちになっていた。そのOさんも津波で帰らぬ人となった。