サハリンには何度も訪れたが、初めて行った1992年のことが印象深い。北海道の宗谷岬から、わずか43キロのこの地は、当時近くて遠い所だった。
旧樺太住民の墓参団の船に、稚内から一緒に乗船させてもらった。戦後命からがら引き揚げて来た方々も、すでに高齢になっていた。
コルサコフ港に到着すると、ポロナイスク(敷香)の墓参団と一緒にマイクロバスに乗り込んだ。車窓には、宇宙にロケットを飛ばす国とは思えない貧しい光景が広がっていて、衝撃を受けた。
バスに2日間揺られてポロナイスクに到着。今は何もないこの町も、以前は日本最北町として、防衛の重要な拠点だったという。昭和の大横綱大鵬も、ここで生まれている。
墓参団の方々は、かつての面影が全くないふるさとに、落胆を隠せなかった。墓石すら残っていなかった。
私はまた違う感慨に打たれていた。植生といい、木造家屋が立ち並ぶ光景は、私が子供の頃の、ふるさと北海道の風景そのものだった。出会った少年と少女の姿に、幼い頃の私と妹の姿が重なった。(公明新聞8月19日付掲載)