2010年ご近所で雑誌の初仕事がアサヒグラフの「我が家の夕飯」というページだった。時の人が、ご家族とどんな食卓を囲んでいるのかという、何の変哲もない企画なのだが、案外人気があった。35年前のことだ。
おじゃましたのが横浜の桂歌丸さんのお宅だった。新聞社のハッセルブラッドと、コメットストロボ2400Wの1台2灯を持ってハイヤーで出かけるのは、1人前のカメラマンになった気がして嬉しかった。ところが落語界のスターのお宅は、びっくりするほど狭くて、ストロボのスタンドを立てるスペースもなく、どうしたものかと大汗をかいたのも懐かしい思い出だ。
その後も別の雑誌で、歌丸師匠の連載原稿に私が写真を撮り下ろしたり、何かとご縁があった。8年前に「サライ」で撮影させていただいたのが最後だった。驕らず、威張らず、見事に普通の方だった。近年も埋もれた古典落語を発掘し、高座にかけるという骨の折れる仕事をされていて、「なぜそこまでやるのですか」と問われ、「死んだ時楽になりたいから」と答えていた。今きっと心底ホッとされていることだろう。合掌