
「現地で言葉はどうしているのですか」とよく聞かれる。私の行くところは、英語など通じないところがほとんどだ。かといって、土地の言葉をマスターするほどの能力も時間もない。
取材でしっかりとしたデータが欲しい時は通訳を雇う。写真だけ撮ればいいのなら、わからぬまま現地に飛び込んでしまう。大切なのは、警戒心を持たれぬよう心を裸にすることだ。言葉が通じないことで、より近くなれるということもある。言葉がコミュニケーションの全てでなないということも知った。
ここキルギスもそんな言葉の通じない国の一つ。中国の西に位置する、旧ソビエト連邦から1991年に独立した、まだ若い国だ。
この国で驚いたのは、人々が日本人にそっくりなこと。それも私の子供の頃に見た日本人の顔だ。中国や韓国に行ってもこんな感覚になることはない。まるでタイムマシンで昔に戻ったような、不思議な感覚になった。
チョルポンアタの街で会った薪運びを手伝う少年は、子供の頃の遊び仲間にそっくり。その顔は「どんなもんだい」と誇らしげに輝いていた。(公明新聞3月4日付掲載)