初めての海外の旅は23歳で行った香港。まだ英国主権の頃だ。憧れのカンフースター、ブルース・リーの映画の舞台地を見たいという、ミーハーな動機だった。街の喧騒と混沌にたちまち魅せられ、夢中で歩き回った。
この旅の一番の目的は九龍城砦。「東洋の魔窟」と言われた高層スラムだ。日本の友人から紹介された現地の若者に、その旨を伝えたら「どうしてあんなところに行きたいの」と嫌な顔をされた。ここは、麻薬、賭博、売春などの巣窟で、危険人物も逃げ込んでいるという噂があったからだ。
「そんなに行きたいなら案内するけど、カメラはダメだよ」私は素直に従い、彼と迷宮に入り込んだ。
窓のない部屋が多いせいか、ドアを開け放している人も多く、中が丸見えだった。狭い室内には案外普通の人が暮らしていて、少し拍子抜けした。入れ歯の模型がずらりと並んだ歯医者さんが何軒もあり、怪しい雰囲気を醸し出していた。
写真は撮れなかったが、この時私の旅心が着火した。
その九龍城砦も1994年には取り壊された。(公明新聞11月19日付掲載)