
ユーゴスラビアという国があった。5つの民族が様々な問題を抱えながらも、チトー大統領という強いカリスマの下、一つの国としてまとまっていた。
そのチトーも1980年に亡くなり、1989年のベルリンの壁崩壊という世界の流れの中、ユーゴスラビアでも民族間の紛争が勃発した。
その後、内戦は泥沼化し、かつての隣人同士がお互いに向かって銃を撃ち合うニュース映像は、世界に衝撃を与えた。
紛争も沈静化した1998年、かつてのユーゴスラビア、現セルビアの首都、ベオグラードを訪れた。街は落ち着きを取り戻していた。この後、分離独立したボスニア・ヘルツェゴビア、クロアチア、スロベニアなどを回ろうと思っていた。
あるレストランの店先で、ロマの楽団の演奏に合わせ、腰を振って踊る酔っぱらいの姿があった。平和になった喜びというより、未来への不安を、刹那的にごまかしているようにも見えた。そしてその不安どおり、翌年このベオグラードへのNATO軍の空爆が始まった。(公明新聞8月20日付掲載)