仕事柄この30年ほど日本のあちらこちらを見てきましたが、特に地方の町や村のここ数年の疲弊ぶりは深刻な状態と言わざるおえません。どこに行っても日常の光景になった、人影のないシャッター通りなどを見るにつけ、胸の塞がるような気持ちになります。
それまで主に海外で撮影した写真を発表することが多かったのですが、今はこの日本に向き合わなくてはいけないような気持ちになりました。日本のよさをまず私自身が再認識し、見る人に元気を届けられるような本が作れないものか。これが写真集「佳き日 A Good Day」の制作を3年前にスタートさせたきっかけです。
とはいえ切り口をどうするのかは、難しい問題でした。現実の光景はあまりにも悲しい。そのとき思い出したのは、以前雑誌の取材で訪れた小豆島の農村歌舞伎のことです。5月に肥土山という地区で行われる約300年の伝統がある舞台で、本番の数日前のリハーサルにまずおじゃましました。子供から老人まで、地域の人々が一丸となって、舞台を作り上げて行く熱気には心うたれたものの、こんな人もいない山の中で観客が集まるのだろうかとちょっと心配でした。
ところが本番当日、肥土山の光景は歌舞伎の舞台さながら、がらりと変貌したのです。客席は超満員。島の人はもちろん島外からも大勢の観客が集まり、華やかでウキウキとした、しあわせな空気に包まれていました。
それまではむしろ日常にこだわって写真を撮ってきた私には、大きく考えを変えさせられる出来事でした。1年にたった一度でもこんな日があるのなら、この日こそ撮らなければならないのではないか。そしてこの日のエネルギーには、地方が活力を取り戻し未来を切り開くヒントが隠されているのではないかという予感がありました。
撮影は祭りそのものというより、このしあわせな空気や、命の輝きに満ちた人々こそ主役と考え、単に祭りだけにとらわれない撮影地を選んでいきました。桜は名木よりも、むしろ人との関わりを撮りたいと思うし、名もなき小さな祭りには、イベント化した大きな祭りにはない原初の祈りのようなものを感じることもあります。
若者の人口が減って、廃れゆく祭りもある中、何百年もその地域の人々の生活の核となっているものも数多くありました。今回の大震災でにわかに祭りが注目されましたが、指針を失った人たちの、大きな心の拠り所になっているのだと思いました。
お盆に町の大半を津波で失った、岩手県の大槌町を訪れました。瓦礫も撤去され何もなくなった荒涼とした町に、どこからか、お囃子が流れてきます。急いで駆けつけると、地元の方々の鹿踊(ししおどり)が廃墟の中で舞われていました。力強く躍動するししの姿を見ていると、祭りとは本来何だったのか、しみじみと考えるさせられ、胸が熱くなる瞬間でした。