世界の路地裏 33 マケドニア・スコピエ
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マケドニアの位置が分かる人は、少ないだろう。1991年までは、ユーゴスラビア連邦の一員だった。ギリシアの北、周りをブルガリア、セルビア、コソボ、アルバニアに囲まれた海のない国だ。

首都スコピエの旧市街は、職人さんの小さな店が軒を連ねていた。様々な手作り製品が並ぶ板金屋、ドアだけを手作りしている店、洋服の仕立て屋などなど。客のいない理髪店では、従業員が呑気にチェスに興じている。こんな街に来るとホッとする。私の子供の頃には日本にも普通にあった風景だ。「経済発展とともに失った」なんて話はもうするまい。

この後、隣のギリシアまで行こうと思ったら、バスも電車もほとんどないことが分かった。関係が冷え込んでいる隣国関係とは、こういうことだ。タクシーの運転手に掛け合ったら、「国境までは行くけど、後は歩いて国境を越えるのだ」という。
国境で車を降ろされ、トボトボ歩くと、1キロほどでギリシアの入国事務所が現れホッとした。こちらもバスなどもちろんない。またふっかけて来るタクシーと値段交渉だ。(公明新聞7月15日付掲載)

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# by saito-r | 2018-07-19 10:33
世界の路地裏32 ネパール・カトマンズ
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アジアを旅するバックパッカーが、インドからネパールに来るとホッとする、という話をよく聞いた。なるほど、カトマンズの繁華街の風景はインドとあまり変わらないが、喧騒のインドに比べ、人々はどこか落ち着いた印象を受ける。

私が衝撃を受けたのは、どこの国でも感じたことのない、デジャヴ感だ。街を一歩離れると、胸が熱くなるような懐かしい農村風景が次々と現れる。珍しいものを撮るのではなく、むしろこの共感こそが、私の写真のテーマだとこの旅で確信した。

ちょうど寺院の河原で、インド同様の火葬が行われていた。有名な方なのだろうか、大勢の人々に見送られていた。組み上げられた薪の上に亡骸が乗せられ、その上に藁をかぶせて着火される。上の薪が燃えると、焼け焦げた遺体が姿を現し、それが熱で動く様は何だか切なかった。
当日は無風で、白い煙が一直線に上空に上がっていく様子は、まさに天に帰っていくような光景だった。近年、この側に電気火葬炉も完成し、忙しく稼働していると聞く。(公明新聞7月1日付掲載)


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# by saito-r | 2018-07-09 11:00
追悼 桂歌丸さん
                      2010年ご近所で
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雑誌の初仕事がアサヒグラフの「我が家の夕飯」というページだった。時の人が、ご家族とどんな食卓を囲んでいるのかという、何の変哲もない企画なのだが、案外人気があった。35年前のことだ。
おじゃましたのが横浜の桂歌丸さんのお宅だった。新聞社のハッセルブラッドと、コメットストロボ2400Wの1台2灯を持ってハイヤーで出かけるのは、1人前のカメラマンになった気がして嬉しかった。ところが落語界のスターのお宅は、びっくりするほど狭くて、ストロボのスタンドを立てるスペースもなく、どうしたものかと大汗をかいたのも懐かしい思い出だ。
その後も別の雑誌で、歌丸師匠の連載原稿に私が写真を撮り下ろしたり、何かとご縁があった。8年前に「サライ」で撮影させていただいたのが最後だった。驕らず、威張らず、見事に普通の方だった。近年も埋もれた古典落語を発掘し、高座にかけるという骨の折れる仕事をされていて、「なぜそこまでやるのですか」と問われ、「死んだ時楽になりたいから」と答えていた。今きっと心底ホッとされていることだろう。合掌

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# by saito-r | 2018-07-04 18:01
世界の路地裏 31 フランス・マルセイユ
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20代の頃、ポンコツ車に寝泊まりして南仏を旅した。マルセイユの路地は様々な人種の人々が行き交い、少し怪しげなのがいい。ヨットハーバーのある海辺りで、小魚釣りをしている子供を眺めていた。そこへ初老の男性が現れ、話が進むうち「家で飯でも食べていけ」という。この子の父親だった。
 
港近くのアパルトマンの一室に案内された。奥さんが食事の準備をしていて、突然の来客に驚くふうでもなく、ニコニコしている。食卓につくと、ゆで卵とトマトのサラダ、パスタと牛肉入りのスープ、その後数種類のチーズが出てきて、みんなパンにつけて食べているので、私も習った。最後がフルーツだ。

彼はアルジェリア移民で、60歳になる警察官。最初の奥さんとの子が、私と同じ年の頃で、旅先で親切にしてもらった話を、よく聞かされたのだという。
「この街はけっこう物騒だぞ。今夜はうちに泊まったらどうだ」と言われたが、夜風に吹かれたくなり、お礼を言って車に戻った。
私もまもなく、あのジョルジュさんと同じ齢になる。(公明新聞6月17日付掲載)


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# by saito-r | 2018-06-19 17:01
鳥原学著「時代を写した写真家100人の肖像」下巻(玄光社)
鳥原学さんの新刊で私の写真集「NOSTALGIA」(JDSグラフィック)を取り上げていただきました。許可を得て転載させていただきます。他にも興味深い記事が満載です。ぜひお手にとってご覧ください。
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原風景への旅 


幼い頃に見た場所を大人になってから訪ねると、たいてい残念な結果に終わる。風景そのものが失われているか、記憶とはどこか違っているかだ。だから原風景などは「遠くにありて思ふもの」でよいのだが、ときにそれを求めたくなるのも人情である。


齋藤亮一の独特なコントラストを持ったモノクロ写真集は、そんな風景探しの旅への誘いである。スペイン、キューバ、アイルランド、東欧、中央アジア、中国、そして日本各地と、齋藤は広く旅をしながら多くの写真集を編んできた。その関心は、たいてい地理的あるいは政治的に取り残され、ゆえに独自の文化を保ってきた地域に向けられている。しかもそれぞれ風土は全く違うのに、同じような懐かしい生活の情感がある。


なかでも5冊目の写真集、1996年に出版された『ノスタルジア』は、そのタイトル通り、郷愁に満ちている。まず表紙、古いロシア正教会のある田園風景に惹きつけられる。その扉を開けると「僕の私的原風景はロシアそのもの」という序言があり、極東から内陸部へと向かう長い旅が始まる。

その旅程は実に緩やかだ。写真家は農業を軸にした小さな地方都市やその郊外で足を止める。そして 旅行者らしく、踏み込みすぎない相手との距離を保ちつつ日常を見る。土地に根ざした素朴な暮らしの確かさと、人々の穏やかな表情が印象に残る。ページを進めていくと、半裸で草原に遊んでいた子どもたちが、いつの間にか雪上でソリを引いている。移動とともに、季節も短い夏を駆け抜けて、秋から冬へと移ろうのだ。

雪や水蒸気、あるいは川や水たまりなど「水」が写し込まれたイメージが多い。サンクトペテルブルグやモスクワ、ウクライナのキエフなどの大都市も冷たい霧に包まれている。そのウエットさも懐かしさを誘う一因だろう。時聞が止まり、積み重ねられた重い歴史へと想像を駆り立てるようだ。

本書の撮影期間は1992年の夏からの約3年。撮影の前年にはソビエト連邦が崩壊し、それまで西側には容易に公開されずにいた地域に、多くの報道関係者が向かっていた。そこで彼らが目撃したのは、 軍事超大国とは正反対の市民生活の貧しさと、停滞しきった社会システムだった。それはイデオロギーが生んだ悲喜劇として報道された。

一方の齋藤は、同じものの違う側面を見た。それは停滞ゆえに保たれていた市民の共同体意識や、長く続いてきた暮らしのかたちである。それは彼の「私的原風景」に極めて近く、「ここにかつて住んでいたような強いデ・ジャヴ」を覚えさせるものだった。

そんな個人的な思慕の結晶である『ノスタルジア』は、1990年代半ばの日本人の心に響いた。戦後の経済発展とその寂しい結末は、私たちがすでに失って久しい生活への憧れを蘇らせていた。そんな挫折のメンタリティーに本書は強く訴求したのである。


郷愁と焦燥

齋藤が初めて海外に出かけたのは19861月。行き先はスペインで、まずバルセロナにアパートを借り、中古のフィアッ卜を買った。これでスペイン各地から、ポルトガル、イギリス、フランス、イタリアなどを1年かけて巡り、翌年には作品集「Hasta la Vista」にまとめている。

旅に出た理由について、齋藤は「数年前から私の心の中に棲みついて離れない風景のせい」だと写真 雑誌に書いている。この思いは、ソ連の名匠アンドレイ・タルコフスキーが1983年に監督した映画 『ノスタルジア』のラストを見たとき頂点に達したのだとも。

その映像は齋藤の『ノスタルジア』とどこか似ている。舞台はイタリアの廃墟となった教会跡、そこになぜか故郷を捨てた主人公の幼いころに暮らした家が立っている。家の前の水たまりに佇む彼の上からただ雪が降り注いでいく......。この謎めいた美しいシーンには、映画の完成後に亡命したタルコフスキーの、望郷の念が込められていると言われている。


齋藤もまた、失われた風景に惹かれ続けてきた。本人は「もとからの性格」だという。2013年に出版された『SLがいたふるさとー北海道19731980ー』を開くと、確かにそうだと思えた。

ここには写真を始めて間もない中学生のころに撮った写真もある。郷里の北海道で、姿を消していく蒸気機関車を追った眼差しには、後の作品と繋がる雰囲気が確かにある。


これらの写真が撮られたのは、生まれ育った札幌の街が変貌した時期でもあった。1972年の冬季オリンピック開催にともないインフラが整備され、人口も増えて郊外の開発も進み、自然と触れ合う機 会は遠ざかった。その寂しさも本書には漂っている。


その一方で、当時の齋藤には故郷からの脱出願望もまた強く育っていた。いや、焦燥感と表現したほうが正確だ。発展したとはいえ地方都市に住み続けるなら、将来は見え過ぎるほど見えてしまう。「このまま終わりたくない」という焦りは、高校の修学旅行で上京したとき決定的となった。東京では見るものすべてに圧倒されてしまった。そして「ここに住みたい」と強く思ったとき、手段は写真しかなかった。この体験から齋藤は日本大学芸術学部写真学科に進むことを決めている。


やがて始まった東京での生活は楽しくも忙しく、ホームシックを感じる暇もなかったようだ。東京出身の同級生はセンスもよく文化的な知識も豊富だったから、彼らに追いつこうと意欲的だった。大学新聞部に入って活動し、空き時間にはよく映画を観て、小説もむさぼるように読んだ。しかし、学生生活で何より大きかったのは、三木淳という良き指導者と巡り会えたことだ。


日本人として初めて『ライフ』のスタッフ写真家となり、国際的な活躍を果たした三木は、1977年から日大の教授に就任していた。教師としての三木は、およそ褒めて伸ばすタイプだったらしい。また授業では著名な写真家たちとの交流を語り、ときにDD・ダンカンを授業に招いたこともあった。


感度の高い学生なら、三木のようにグラフ誌で活躍する写真家を目標にするのは当然といえた。齋藤の場合、夢への第一歩として描いていた新聞社への就職は叶わなかったが、三木の口利きで朝日新聞出版局で暗室助手のアルバイトになっている。そんな位置からでも、齋藤の力は認められると三木は考えていたようである。


壁をこえて

暗室には齋藤の写真の原点がある。中学で写真を始めた動機も暗室作業への興味からだった。また日大には優れたプリントを作る先輩がいて、その影響も受けていた。さらに当時は戦前の絵画的な芸術写真の再評価や、現代作家のオリジナルプリントへの注目も始まり、表現の潮流が変わり始めていた。齋藤の中には、グラフ雑誌での活躍とファインプリントでの表現、2つの異なる願望が共存していた。

しかし、グラフ誌での活躍は果たせなかった。『アサヒグラフ』1983211日号の巻頭特集、取り壊しの決まった北海道大学の学生寮「恵迪寮(けいてきりょう)」のルポが、齋藤の最初で最後の大きな仕事である。恵迪寮は学生時代から帰省の度に撮り貯めたテーマだったこともあり、なかなか迫 力のある誌面になった。しかしこのときすでに組織での仕事には向いていないと感じるようになっており、この後すぐフリーの道を選んでいる。

初の写真集『想いは恵迪よ永遠に』をまとめたのはその翌年で、出版には決意表明の意味もあったはずだ。また同じ年、もう一度ライティングなどの技術を身につけ同時に旅の資金も貯めようと、スタジオに入り直した。そこで1年間働いた後、スペインに渡ったのである。

その旅の成果『Hasta la Vista』は、本のように綴じず、1枚ごとのプレートで構成されたポートフォリオ形式の作品集である。収められた写真は暗室で卜ーンを作り込み、さらに印刷で大きく色を調整するなど技巧が凝らされている。この極めて心象的なイメージ集は書店などでは好評だったが、三木から酷評を受けたのだった。

この次の旅に齋藤は南米を選んだが、写真がほぼ撮れずに終わっている。その理由について「強烈な イメージばかりが先行して、空回りに終わった」からだと語っている。三木が酷評したのは、こうなる ことを読み取っていたからではないかとも思える。

そして1988年、齋藤は再びヨーロッパに渡り、今度はパリを起点に中欧などを回った。このとき衝撃を受けたのは東ベルリンだった。壁1枚隔てた街には緊張感があり、物資は乏しく街を走る自動車も少ない。人の表情も暗く険しい。この社会主義という異質な世界に強く惹かれた。だから翌年、東西の壁が崩壊して冷戦が終わったとのニュースを聞いたとき、ついに「自分の時代が来た」と思えた。


その直感は正しかったようだ。次の夏に東欧の旧共産圏を巡ると、そこには忘れられた人の生活があった。このときの写真は三木にも認められた。1991年にはニッコールクラブから『新しい地図』として刊行されて高く評価された。本書では写真はもちろん、あとがきの「身につけていたテクニックをいちど捨てたとき、被写体が語り掛けてくる声が聞こえ始める気がする」との一文が印象的だ。


『ノスタルジア』はこの延長線上にあって、作品の密度と完成度はより高い。齋藤が持つ郷愁の感覚が強く発揮されている。本書は、発展を追うばかりで、その感覚自体を忘れそうになっている私たちに、原風景というものを思い出させる美しい夢なのである。


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# by saito-r | 2018-06-09 12:19



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