世界の路地裏4 ロシア・スーズダリ
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ソビエト連邦が消えるなんて、誰が思っただろう。
かつて宇宙に初めて人を送り、イデオロギーと核競争でアメリカと対峙していた超大国だ。ソ連邦崩壊後の1991年に、新生ロシア共和国は船出を始めた。

当時日本のテレビでは、混乱するロシア国民の生活ぶりが、毎日のように伝えられていた。激しいインフレと物不足。食料を買うために長い行列をつくる人々。
何はともあれ、現場をこの目で見てみよう。東の玄関口、ウラジオストックから、シベリア鉄道で途中下車しながら、西へ向かう旅程を組んだ。
厳しい旅を覚悟したが、ロシアに着くと、街の空気が思いの外穏やかな事に驚いた。貨幣経済の混乱はあるものの、むしろ監視社会から解放された、清々しい空気を感じた。

スーズダリはモスクワから北東約200キロ。古い教会や修道院が数多く残る、ロシアの原風景のような美しい村だ。ここにいると、日本で見たあの映像は何だったのだろうと、思わずにはいられなかった。2人の背中に未来の幸せを祈った。(公明新聞 5月21日付掲載)

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# by saito-r | 2017-05-24 17:56
雲の眺め
そろそろ入道雲の季節ですか。
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# by saito-r | 2017-05-19 14:38
世界の路地裏 3 インド・コルカタ

デジタルカメラが一般的なものになって、まだ十年ほど。当時「デジカメを買ったらインドに行ってみよう」と自分で決めていた。インドは敬して遠ざけていた国。これまで数多くの写真家が、素晴らしい作品を残している。今さら私が出かけても、という思いがあった。でもデジカメとインドがどんな化学反応を起こすのか、これは興味深々だ。

フィルムカメラには「やせ我慢の写真術」が求められる。むやみやたらとシャッターを切れない。これは旅に持って歩けるフィルムの数が限られていることと、フィルム代などの経済的側面もある。一度でいいから心ゆくまでシャッターを切ってみたい、写真家はみんな思っていたはずだ。デジタルはそんな願いを叶えてくれた。

インドは富裕層と庶民の居住区がはっきり分かれている。私が向かうのは後者。ここは今、急速な経済成長で活気に溢れている。路上はさながら生きた劇場で、個性溢れる登場人物が、次から次と現れては消えてゆく。私はデジカメで、思う存分シャッターを切る喜びを味わっていた。(公明新聞 4月30日付掲載)

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# by saito-r | 2017-05-03 15:47
世界の路地裏 2  中国・重慶
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2008年の北京オリンピックを前にして、中国全土は建築ラッシュに沸いていた。古い家屋は情け容赦なく破壊され、高層ビルがニョキニョキとその姿を現していた。路地裏が大好きな私は「今、記録しておかねば」という焦燥に駆られ、古い街並みを求めて、中国全土を駆け回った。

最初に訪れたのが重慶。水運の大動脈長江と嘉陵江に挟まれた、中洲の斜面に広がる街並みは、きっと素晴らしいはずだと、地図や写真で見当をつけた。訪れると、まさに今、破壊と建設の真っ只中。広がる瓦礫の空虚な空間の向こうに、無機質な高層ビルが立ち始めていた。幸い古い街並みもまだ残っていて、迷宮のような路地裏をひたすら歩き続けた。

そこは老若男女、生活者の熱気が溢れかえっていて、夢中でシャッターを切った。幼児のズボンのお尻の穴は、素早い排尿排便の為と知った。食事前の時間は、そこかしこの台所から、唐辛子たっぷりで炒めた、四川料理の煙が路地中に溢れる。これをうっかり吸い込むと、あまりの苦しさに悶絶しそうになるのだった。(公明新聞 4月16日付掲載)



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# by saito-r | 2017-04-18 17:20
世界の路地裏 1 ブータン・パロ

公明新聞日曜版に隔週で連載が始まりました。毎回ブログでもアップさせていただきます。
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「幸せの国」で一躍有名になったブータン。GDPならぬGNH(国民総幸福量)を国家理念に掲げ、国民の大多数が幸せを感じているという。ずっと行ってみたい国だったが、3年前にようやく願いが叶った。農業中心の自給自足の生活だったが、海外にも少しずつ門戸を開くようになり、いま国民の生活も大きく変り始めている。

国際空港のあるブータンの玄関口、パロは田んぼの広がる、のどかな町。ここで伝統的木造建築の大きな家に暮らす家族と知り合いになった。そのご家族も、娘をよりよい高校に進学させるため、首都のティンプーの親戚の家に住まわせ、祖父、祖母も通院のため、農繁期以外は、ほとんどそちらにいる。大学に進学したい娘の願いを叶えるため、お父さんはアメリカにいる仲間の伝を頼りに、出稼ぎに行くことになった。    

元々3世代が賑やかに暮らしていた大きな家は、お母さんと小学生の下の娘の2人暮らしになってしまった。そのお母さんに「こんな状況でも幸せですか」と意地悪な質問をしたら、きっぱりと「幸せです」と答えてくれた。(公明新聞 4月2日付掲載)




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# by saito-r | 2017-04-05 11:12



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